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在の吉原周辺

大関横丁から南

 台東区吉原。最寄駅はどこになるのか微妙な位置なのですがw東京メトロの三ノ輪駅に降りてみました。駅を出てほどもなく大関横丁という交差点があるので、そこから南へと歩を進めていきました。私が散策にでかけたのが日曜日だったのですが、通りは閑散としてましたね…。ちょっと現在の吉原周辺は当時の賑わいの面影は見当たりません。駅を降りたときもそれほど乗降者が多いという印象はありませんでした。国道306号線。車線も広く、大きな道路ですが、周辺の建物はなんだかひっそりという感じでした。

通りから見えるスカイツリー 商店街

 そこからさらに南へと歩いていくと、道路の先にスカイツリーが見えてきます。スカイツリー高ーい(笑)。このまままっすぐ行けば浅草になります。吉原遊郭は明暦2年に江戸幕府から移転を命じられ、浅草裏の日本堤へ移転したのでした(歴史についてはこちらを参照)。その吉原の入り口である大門はこの通りをまっすぐ行くとあります。途中にあった商店街。うーん、店が閉まっている…。お盆の時期だったからなのか?!また行く機会があれば今度は商店街にも踏み入れようと思います。

 そんなことで、吉原大門の付近まできたのですが、っこまで歩いておよそ10分~15分といったところでしょうか。通りの路地は下町って感じの雰囲気が漂ってました。吉原大門ですが、その名のとおり今でもその場所は存在していました。吉原大門の交差点を右へ曲がり、しばらくすると当時の大門(もちろん当時のそれとは違ってますが、名残りはありましたね)が見えてきました。来るまでに吉原の塀や堀といったものはさすがに残されてはいませんでしたが、当時の道などは整備されてるにせよ道筋はそのまま残されているようです。この大門の手前に交番があるのですが、当時は遊女の逃亡を監視するための「四郎兵衛番所」だったそうです。

吉原大門交差点 大門の名残り

 現在の台東区と言えば、やはり浅草や上野が思い浮かぶのではないでしょうか。台東区全体の世帯数がおよそ7万世帯。浅草がおよそ1万8000世帯。上野が約4000世帯。日本堤が約2000世帯。三ノ輪が1000世帯ほどである。今はその名のとおり、浅草、上野に観光スポットが多くあるため、人の流れも多いのだが世帯に関しては意外と上野が少ないのかなぁという印象です。それがどうしたって話なんですが、台東区のなかでも江戸時代には吉原が起点となるような大きな町だったということです。吉原遊郭内に生活していたその人数はおよそ1万人を超えていたといいますから、相当密集していたのではないでしょうか。さながら渋谷のスクランブル交差点状態といっても過言ではないでしょう。

 流行の発祥地といわれていた吉原。今はその歴史を閉じ、ひっそりとした場所へと変わってしまったのですが、まだまだその遊郭の名残りをここでは見ることができます。そう、ホテルやスナック、風俗店とかですね。ある意味この空間にはその雰囲気が今でも残ってはいました。私が訪れたのは昼過ぎの時間でしたが、結構お店の方が外へ出ており、ちらちらお誘いっぽいこともやってはいました。にしても時間的なことかもしれませんが、通りを歩く人は少なかったですねぇ。ほとんどが近所のおばちゃんとか、散歩中のおじいちゃんとしかすれ違わないような場所です。お店もそういった大人のお店以外にはほとんどない感じでした。

風俗店ならび

原神社

 仲之町通りをどんどん進んでいくと、吉原神社が見えてきます。吉原にいた遊女を祀る神社は他にもあるのですが、近くにあるのはこの神社ではないでしょうか。小振りできれいな赤色をした吉原神社は、浅草七福神のひとつとして数えられています。当時近くに点在していた5つの神社を1875年に合祀してできたそうです。やはり土地柄でしょうか、女性の悩みを聞いてくれる神様がいらっしゃるんだとか。

 本堂の右側には「お六様」と呼ばれる神様がいます。

 看板にこう書かれていました。「お六様」…此処の地中には神社の土地をお守りする神様がおられます。心を込めてお詣りすると必ず福が得られると伝えられ大切にお護りしています。

吉原神社① 吉原神社②

 さらに少し歩くと、吉原弁天池跡が見えてきます。

 1875年に起きた関東大震災の際、逃げ遅れた遊女約500人がここにあった弁天池に飛び込み溺死しました。その遊女たちの供養のためつくられたのがこちらの弁財天です。

吉原弁天池跡 台東区立台東病院

 通りの最後に台東病院がありました。

 いかがだったでしょうか。江戸の町を彩った吉原遊郭。その繁栄と衰退を追ってみると何だか悲しい出来事ばかりのように感じました。実際に当時の生活の大変さと自由を手に入れるための手段が限られていたこと、閉じられた世界で遊女たちが望み、見てきたものの大きさは今の我々には想像つかないことだったのではないでしょうか。改めて歴史の重みにわずかでも触れることができたのみも大きな経験でした。正直興味のない方には退屈な場所のように感じるでしょうが、遊郭の生活や遊女たちの一生を紐解いていくとこうした現代の場所をめぐることも有意義な時間となると思います。

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